【インド編】バラナシを歩く①~ガンジス河と共にある日常~
1月23日
バラナシ。今回の旅のメイン地。
サイクルリクシャー(いわゆる人力車)に乗って、ガンジス河へ向かいます!
サイクルリクシャーはゴードウリャー交差点という所までしか行けず、そこから先は徒歩。ダシャーシュワメードと呼ばれるマーケットを抜けた先に見えてくるのが・・・
ガンジス河!!!これぞ、バラナシの象徴です。
インド人はガンジス河で沐浴をする、洗濯をする、なんて話を聞いたことがある方もいるかと思いますが、まさにバラナシではそれが行われています。
バラナシは、ガンジス河(「ガンガー」と呼ぶ)が流れ、河沿いにガートと呼ばれる階段と建物が並んでいるのが特徴的な町です。
河そのものが神格化され、多くの巡礼者が沐浴をし、祈りを捧げる一方で、
日常の生活用水としても利用されている。
神聖な河を汚していいの!?と思いつつも、地元民にとって本当に切り離せない存在なんだろうな、とも思う。
洗濯中の男性。
脱水中の男性たち。
そして大胆に干す。
空間をうまく使い、洗剤のCMか、もはや一種のアートの如く干している。
これは河に流すお花。女性たちが売り歩いています。鮮やかで美しい。
思いきり生活用水として汚されている感のあるガンジス河ですが、
すごいと思ったのは、地元の人たちが河に対しての感謝と祈りを決して忘れいないこと。
個人的にお祈りをしている人も沢山いますが、毎晩18:00を過ぎた頃に、定例の祈りの儀式(「プージャ」と呼ばれる)が30分程度行われます。
中心部のダシャーシュワメードにて。5人程の祈祷者がひたすら祈りを捧げます。
この写真、奥の方にも人が沢山いるのが見えますが、そこは河で、ボートに乗りながらこの儀式を見学している人もいます。
正直、観光客からしたら「祭り」レベルの派手なイベントのように見えるのですが、
地元民にとっては当たり前の日常であって、日本人が毎朝仏壇に手を合わせて祈るのと同じような感覚なのだろうな、と思います。
ひたすら鐘が鳴らされ、生歌、生演奏で讃歌(讃歌と表現するのが正しいかは不明ですが)が流れるのを聞いていると、
ヒンドゥー教徒ではないけれど、心と体が浄化されていくような気分になりました。
単調な音楽ではあるけれど、ずっと聴いていたくなる。
単に心地の良いクラシック音楽を聴いているのとは全く違う感覚がある。
おそらく、神聖世界と我々が住む現世を繋ぐような、その空間に引き込まれるような世界観があるからなのかな。
プージャ、いつかまた見たいと強く思う儀式です。
ガンジス河はとても長いので、中心部から離れた所でも小規模ですが祈りが行われていました。
この後、マニカルカーガートと呼ばれる火葬場を見に行きました。
ヒンドゥー教徒は河沿いの火葬場で死体を焼き、遺灰をガンジス河に流すのです。
ガンジス河は死体が流れている、という話を聞いたことがある方もいると思いますが、それは本当です。
ただ、それを「やだー怖い」といった一言では済ませてほしくないな、と個人的には思います。
ヒンドゥー教徒にとって、遺灰をガンジス河に流すことは、彼らの宗教観において最高の願いだからです。
火葬場を見ることで、ガンジス河は単に生活に欠かせない河というだけでなく、
生(人生・生活)も死からも切り離せない存在である、ということを知りました。