【インド編】バラナシの色
ガンジス河沿いで写真を撮っていた時、コルカタから来たというグラフィックデザイナーのおじさんに会いました。
「この町は本当に色やアートで溢れていて、ファンタスティックな町だね」とおじさんは言いました。
たしかに、建物、ガート、アート、ボート、サリー、祈りの生花、そして洗濯物。
この町は、あらゆる色で彩られている。
でも、そんな人々の「生」と共に、「死」もまたこの町の象徴である。
毎日、多くの死体が火葬場に運ばれてくる光景を何度も目にした。
ヒンドゥー教の信仰によると、「運ばれた死者はまず近くのシヴァ神を祀る寺院に安置され、シヴァ神の救済の真言を聞くことで解脱ができるとされる。その後、ガンジス河の水に浸され、火葬される。遺灰を河に流せば、輪廻からの解脱を得られる。」そうだ。
ヒンドゥー教への信仰心のない私であっても、煙が昇るのを見ていると、現世での生の終焉とともに、新たな死の世界での誕生を感じさせる。
死のにおいを嗅ぐ。
本来であれば少々不気味な話なのだが、この地にいるとホリスティックなものとして感じられるのが不思議だった。
むしろ、日本の火葬場はあまりに機械的で、エレベーターの先に死の世界があるようで、よほど奇妙に感じるのは私だけだろうか。
日本では、死者は機械の中で誰にも見守られずに焼かれる。その間、親族はお菓子を食べながら故人の思い出話に浸り、骨になるのを待つ。
しかし、インドでは死者は灰になるまで、ずっと家族に見守られている。
そんなヒンディーの弔いは、とても温かいもののように思えた。
ちょうど2か月前、祖母を亡くした記憶が鮮明だったからか、「私はヒンドゥー式の方がいいな」。そんな風に思ってしまった。
彩り鮮やかな町である一方、白と黒にも見える町。
それが私が思う、バラナシの色だ。